辰野仁 Jin Tastuno Website.

自我の紹介 about

辰野仁 tastuno jin

誕生日 :
1977年8月25日
星座 :
おとめ座
血液型 :
超B型

辰野仁画像ジャンレスソロアーティストにしてモラリスト。
1997年から若干19歳にしてソロ名義でバックバンドを率い、千葉のインディーズシーンを席巻した。
一貫したパンク的精神がレベルミュージックとして、現状を曖昧にされた一般概念や、封じ込められた疑問を根底から呼び起こしてくる。
攻撃的社会性と内向的人間性が、ただのバンドサウンドという枠を大きく超えたアンサンブルで表現されている。
主な概念として弱者、負け組、女性などのナイーブな視点から歌われる曲が多いのだが、それは悲観を生まず、むしろ高邁な姿勢で現状の肯定えを宣揚するかのような印象をもたらすと同時に、内向的に含蓄のある個人レベルでの精神に虚飾の無い自分自身を発見させる。

辰野仁画像ライブとしてはオーディエンスが引きまくるほど、指差しで罵声をあぴせるような直接的パンクパフォーマンスの時代もあったが、その手法も時代によって変化してきた。
現在はピースフルなダンスチューンがメインのナンバーとなっている。会場全体が一つに盛り上がり、そこに感情的で哲学的な詞のフレーズが更なる高揚をあおり、相乗効果をもたらす。
かつてはあくまで自然体のライブパフォーマンスを貫いてきたが、昨今はパフォーマーとしてのキャラクターをステージ上で仕立て上げることで、逆にオーディエンスに分かりやすくかつ、より諷詠的になったとも言える。

辰野仁 tastuno jin

1977年 08月 [ 0歳 ]
8月25日 埼玉県大宮市で誕生。
1979年 [ 2歳 ]
千葉県船橋市に転居。
1977年 08月 [ 7歳 ]
小学校の教師から席を隔離される。
一人だけ給食のお替わりを理由なく禁止される。
宿題をやってくることを禁止される。
1986年 [ 9歳]
急性腸炎で入院。
医師の誤診で脱水症状に至る。
1987年 [ 10歳 ]
父の影響で落語を始め、人前で披露するようになる。
1988年 [ 11歳 ]
上野本牧亭で初の高座を演じる。
初めて公の施設で人前に立つ。
マンガ「ハーイ!ザラキくん」を書き始めクラスで好評を博す。
1989年 [ 12歳 ]
小学校としては異例の「寄席クラブ」を創設。
歌詞の意味もわからず"尾崎豊"を聴きまくる。
1990年 [ 13歳 ]
哲学に興味を持つ。
初めてまともに異性に告白をして振られる。 それをネタに馬鹿にされたのが原因で初めて殴り合いの喧嘩をする。
1991年 [ 14歳 ]
中学校弁論大会に出場。入賞。
当時それほどまだ社会問題化されていなかった陰湿ないじめや仲間はずれをテーマにする。
1992年 [ 15歳 ]
ある日友人がマイケルジャクソンと間違えてメタリカを買ってきて最初「うるさいだけだな。」と馬鹿にするがそのままハマる。
友人から一万円でgrecoのSGとYAMAHAのギターアンプを買う。
スケーターになる。
その影響でメロコア、レゲエ、ヒップホップなどの中で特にスケーター系の音楽を聴き始める。
人生初めて生ライブに行く。
METALLICAのブラックアルバムに伴う来日公演。
1993年 [ 16歳 ]
包茎の手術を受ける。
ほとんど学校に行かず、スケーター仲間と遊びまくる。ほとんど轟音のスラッシュしか聴かなくなる。
初めてのオリジナルバンドPEINMIXを組むがうまく行かずすぐ解散。
1994年 06月
POLNO結成。
1994年 11月
POLNOによるLIVE活動を数回行うが、歌が下手すぎてほとんどクビ状態でバンドを辞める。
初めてまともに彼女が出来る。
スケボーよりも音楽に力が入り始める。
1995年 03月 [ 10歳 ]
初めてまともに付き合った彼女の振られる。
それが原因でナーバスになり周囲に当たり散らす。
当然孤立する。
さらに被害意識が勝手に膨らむ。
そして留年を宣告される。
初めて人生について危機感を覚える。
校長室で土下座してなんとか一週間の猶予期間を貰い、初めて寝ないで一週間勉強をする。
その出来事とビリージョエルとトマトジュースと朝日がグランドクロスを起こして初めて自我が覚醒する。
1994年04月
自我が覚醒したのでこの時音楽を一生続けよう。
言葉で表現出来ないことを大事にしていこうと誓う。
自分の事を女だと錯覚する。
強い女になるためにコスモポリタンを購読して英会話教室に通い、スイミングを始める。
やたらめっぽうCDを聴きあさる。
1994年07月
達磨禅師結成。
1994年08月25日 [ 18歳 ]
肺気胸で入院する。
これによって達磨禅師解散。
1994年10月25日
肺気胸再発。開胸手術を受ける。
1994年12月
サイドギャザー結成。
全員演奏が超下手なのに交代で全パートを担当するという暴挙に出る。
1996年04月 [ 19歳 ]
高校卒業とともにサイドギャザー解散。
音系専門学校作曲部に入学。
ギャル男になろうとするが失敗する。
また、彼女に振られる。
1996年06月
「いさぎよいこととは美しいのですか」が生まれる。
「彼は彼女が大嫌い」が生まれる。
最初のソロ名義自作デモテープアルバム(8曲)を知人に公開。
1997年01月
「ダメになった少年」「ひどい男の唄」が生まれる。
1997年03月
運命的な失恋をする。
1997年04月
辰野仁ソロ名義での初ライブ
辰野仁にもっとも影響を与えた女性と交際が始まる。
1997年07月
LIVEHOUSE"3rdStage"のオムニバスCDに参加。
月4ぐらいのペースでライブをやる。
1997年10月 [ 20歳 ]
喘息の発作で再び入院する。
実家を出る。
1998年05月
ライブイベント大童宴主催。
1998年09月 [ 21歳 ]
1stマキシシングル「肺」発売。
1999年05月
2ndマキシシングル「猫」発売。
1999年10月 [ 22歳 ]
就職する。
1999年11月
火結成。
2000年02月
結婚する。
火解散。
2001年02月 [ 24歳 ]
離婚する。
2001年09月
Avarokite結成。
2002年01月
勤め先が潰れる。
2002年04月
余儀なく起業する。
Avarokiteでの活動が続く。
2003年09月 [ 25歳 ]
仕事で某大手同業者と合併。
2003年06月
脱サラ。
2003年07月
Avarokiteの傑作 「ビルディングはいと白し」 発売。
Avarokite解散。
ソロ活動復活。
弾き語りからやり直す。
飲み屋などで露出しながらメンバー編成。
2004年06月
ソロ復活後、最初のフル編成ライブ。
2004年09月 [ 27歳 ]
ソロ作3rdマキシシングル「訳」発売。
2005年01月
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